走りながら考えることで生まれたトップテンハウス(1/2)

昭和24年に川口村で生まれた会長の西川は、子どもの頃から『これだ!!』と思ったらすぐに行動に移すタイプでした。

小学生になると色んな遊びを自分で考えるのが得意で、鬼ごっこに違うルールをつけてアレンジしたりと少しでも楽しくなるよう工夫してみたり。

その行動力と発想力は東京での大学生活時代でも遺憾なく発揮されます。

大学に入学した1年生は必ずどこかのクラブに入部することが義務づけられていました。

西川はテレビで見た東京オリンピックから正式競技に認定されたアーチェリーをやりたいと思ったのですが、聞いてみるとアーチェリー部はないという返答。

それなら自分がつくろうと思い、アルバイトで弓と矢を購入。

寮内でデモンストレーションを行い、当時では珍しかったドリップコーヒーを振舞い数名を「うん」と言わせ、晴れて同好会が誕生。

そこから始まったアーチェリー同好会も4年後には部員35名のクラブに育っていました。

その後オリンピック選手も輩出するようになり、アーチェリー部は大学の中でも強豪クラブとなったほどです。

会長写真1

大学卒業後京都に戻った西川は、義兄のガスショップを手伝い始め社会人生活をスタート。

戸建て新築のガス配管の設計・工事、給湯配管工事、風呂の入れ替え、キッチンの入れ替えなど今のリフォームのさきがけの仕事を始めました。

次にもう一人の実兄が営んでいた電気店「ナショナルショップ」の手伝いもするようになりました。

電気店の電池1個からのお客様とのお付き合いで縁ができ、高度成長とともに様々な家電製品が誕生し、私たちの暮らしが豊かになっていくことが身近に実感できる楽しさを知りました。

八幡の竹がエジソンの電球のフィラメントに使われていたという地元の自負が、八幡で電気店を行う自負にもつながっていたのかもしれません。

エジソンの発想力に近づきたいと小さい頃から西川は思い続けていたのです。

会長写真2

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